どーも、初めまして!よーへい(@campanella225)です。お越しいただき、ありがとうございます!ブログ全てが自己紹介でもあるわけですが、改めてのプロフィールです。
1983年生まれ。「キレる世代」と呼ばれて育った世代です。世間を騒がした犯罪者が同級生に多い…。ゆえに「世代」というのを意識したがらない「世代」なのかもしれません。
仕事はレコーディング・エンジニアをやっています。
ブログ名の由来
「チョコマシュブログ」の名前の由来は、僕自身が学生時代に書いていた日記ブログ「★☆チョコレイト・マシュマロ☆★」から頂引き継いでいます。
当時は完全に日記でしたね。改めてブログを始めて1年が経ち。そういう日記も書いていこうかと考えています。
では、なぜチョコレイト・マシュマロにしたのか?
それは、当時の先輩に言われた一言。
「よーへいはチョコレイト・マシュマロみたいな人だよね。外見は真っ白いくせに中身はチョコレイトのような色をしている。」
言われた時は少しショックを受けたのですが、実に言い得て妙。「確かにそうだよな〜」と感じてしまっている自分がいました。
なら、そんな白い部分も黒い部分もブログに残していこうと思い、「★☆チョコレイト・マシュマロ☆★」を始めました。こちらのブログは現在も存在しています(笑)若さがあふれていて、個人的に好きです。
ただ、ログインするための情報を忘れてしまい…放置するしかないのが現状。
よーへいのこれまでの経歴
幼少期
愛知県の春日井市という名古屋のベッドタウンに生まれました。春日井市ではサボテン食べるんですよ!
スムージーにしても美味♪知ってます?サボテンって食べられるんですよ!
今はゴーストタウン化しつつあるニュータウンで幼少期を過ごします。森が近くにある環境だったためなのか、今現在も森や里山というキーワードに反応します。
最近、知ったのですが…このニュータウンのデザイン・設計に携わっていたのが津端修一さんという方。生き方がとても素敵なんですよね。今の僕の考えと似ています。
彼の作った街に生まれ育ち、その影響を受けたのかどうかは定かではないですが、勝手に不思議な繋がりを感じています。
そんな津端さんを追ったドキュメンタリー映画「人生フルーツ」が2017年に公開されました。多くの反響を呼んだ作品となっています、是非一度ご覧いただければ。
【映画・人生フルーツ】「ときをためて」こつこつと生きていく。
話を僕の幼少期に戻します。
2月生まれも影響していると信じているのですが、何かにつけてやることが遅かった(泣)幼稚園の登園スタンプを押すのが上手くできなかったりして、並んでいる同級生から背中を小突かれていたのを未だに覚えてますね。
あとは、みんなでやらされる「お遊戯」が大嫌い。発表会当日の写真を見てみても、僕一人が輪の中に立ってはいるものの…仁王立ち(笑)
「やりたくないことはやらない!」というスタンスはすでに出来上がっていたようです。そして、それは今も変化なし(笑)
逆にハマっていたのはメンコ!地面に叩きつけるやつね。今の20代より若い方は知らないのかな?どうなの?
親の繋がりで女の子と遊んでいることが多かったかな。シルバニアファミリーの人形でよく「ごっこ遊び」をしていた。
小学校(登校拒否していたり、していなかったり)
小学校に入るも、いまいち楽しんでいなかったですね。
「やらされる」という事がとにかく苦手…。
勉強もほっといてもらえば勝手にするし、授業は聞いているので理解もしている。でも、宿題をやって提出するのが…。おかげで成績表の内容はボロボロでしたね(笑)
テストが出来ても、内容を理解していても、授業中の態度が良くないと評価しない。「あぁ、そうですか」って感じでうよね。アンチ相対評価!
ここで大人への不信感は深まったように感じます。
・ ・ ・ ・ ・
友達も出来た頃、学校内で同級生の女の子がイジメられているのを見つけてしまう。ただのケンカだったのかもしれない…今となっては謎ですが、僕はそれを止めに入ります。イジメていたのは「女番長」みたいな女の子。
僕が止めたのが気に食わなかったらしく、陰湿なイジメの反撃にあうことになります。
そのせいで面白くない学校がさらに行きづらくなり、小学生の3年生は早引きと遅刻・欠席が多く、不登校児に片足を突っ込みかけていました。
小学4年生の時の担任に救われ、学校に復活。そこから卒業までは楽しく学校に行っていました。
楽しくなった学校生活。これまでとは逆に調子に乗ってしまいます。その結果、気づかないうちに同級生を傷つけ、恨みを買っていたことが大人になってから判明しました。
僕の上着の袖口が刃物で切られていた事があったらしく、母親がリサーチしていたそうです(笑)気づかなかった僕も僕ですが、母親もやるなぁ〜と感心しますね。まぁ表向きは平和な後半戦でした。
暗黒時代の到来!中学2年の時に友達が一人もいなくなる事案発生。
心機一転、中学校は楽しむつもりだったのもつかの間…地元の中学校はそこそこ荒れていたのでした。
校舎の建て替えとも重なり、教室はプレハブの仮設教室。荒くれ者のせいで穴だらけの壁。トイレの便器が割れるって何したらできるんだろうと、今も疑問でしかありません。
暗黒時代が訪れる少し前、初めて本気で女の子を好きになりました。
当時、僕はめちゃくちゃ太ってたんですよ。体重は今よりも重く、身長は今よりも20cmくらい低かったはず。
そんな僕が女の子を好きになっても振り向いてくれるはずもないじゃん…って諦めかけていたのですが、嘘か誠かお付き合い出来ることになり、浮かれまくっていました。
ま、その浮かれすぎが暗黒時代を招くんですが…
とにかく、友達が一人もいなくなりましたね。いなくなって良かったとは思ってますけど。辛かったというよりも、何が起こったのかを自分自身で回答を作り出すことで精一杯だった気がします。
いつか記事にしていきたいと思いますし、「イジメ」については過剰に反応します。特に「イジメ自殺」。
高校。人とは違う生き方をしたいと考えだす。
初めて生きたいように生きている実感が持てるようになってきた時期ですね。
周囲の反対というか、「行くのは無理だよ」という声を無視して受験した高校。僕自身には受かる確信があったので、強引に突き進み合格!『自分の人生は自分で決めるんだ!』っていう感覚が強くなっていきましたね。
高校2年からバンドを始めました。ギター弾き。この当時のバンドメンバーとは今も仲良しです。音楽で繋がることの楽しさを知ったのがこのバンド。
この頃から、「浮く」ということに慣れと快感を覚え出します(笑)
そもそもが浮いていたんですけどね。周囲と馴染めない・なんか面白くないという生きづらさを感じながら生きていました。
バンドメンバーとの出会いから、その周囲との「ズレ」を直したり、隠していくのではなく、むしろ自分らしさとして受け止め、表に出していこうという考えに変わっていった。
大学は4年間行きましたが、2年生のまま進級出来ずに中退。
とは言ってみたものの、音楽の道へ踏み出していく勇気がなく大学進学。
前期日程の第一志望の大学にはスベり、何も考えずに受けていた後期日程の大学へ。スタート時点からやる気のないキャンパス生活が始まりました。
せめて、音楽活動の幅を広げていこうという意識もあって、なんとなく遊びに行った吹奏楽部に入部。フルートを吹き始めます。
その団体が想像していた部活生活とは懸け離れた”超体育会系”の練習地獄。大学の吹奏楽にもコンクールというのがあるのですが、全国大会の常連校だったんですね。
休みなんて全くなかったですよ(笑)練習、練習、練習…怒号、怒号、怒号(笑)何これ…
でも、奏でる演奏は確かなものでした。僕のクラシック音楽への道はこの団体がなければ始まってもいないので、そういう意味では感謝しています。
若かりし頃の僕がチラチラ写ってます(笑)
それなりに一生懸命に部活に打ち込んでいた日々、留年が決定し20歳を迎えた頃に「このままでいいのかなぁ…」と自分と向き合い始めます。
向き合うというか、「勉強したくない!できない!」だから、それ以外で生きていく道を探していた。
大学2年生のまま大学生活4年目を迎え、これはダメだなと確信。勉強する気もない、卒業の先に自分のやりたいことも見つけられない。この辺りの事は辞めたいけど辞められない人たちへ。という事で記事にしました。
そして、退学の意思を固めます。
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小林武史と仕事がしたい!音響関係の専門学校へ。夢へ突き進む。
自分が何をしたいのか?それを突き詰めた答えが、「レコーディング・エンジニア」という仕事でした。
漠然とこういう録音機材に囲まれている姿に「かっこいい!!」ってトコロからスタート。地元名古屋の専門学校に入りました。
2年間の学校生活を送り、24歳。
東京のけっこう有名な音楽スタジオへ就職。
上京して二ヶ月で山手線に乗れなくなるという心の風邪をひく。せっかくの夢だった職場をそのまま退社。
心療内科なる場所へ行ってみた結果、幾つかの薬を処方される。
それを飲むと楽にはなるのですが…勝ち目のない睡魔に襲われ、何も出来ない日々が続きました。
2週間ほど、音楽も聴かない、外にも出ない、人ともろくに話さない生活をしていて、人生何度目かの「これ、ダメでしょ…」って確信を得る。
再起をかけてとある有名音楽事務所へ履歴書を送る。それが、タイトルにも書いた小林武史さんの会社。僕が音楽への興味を深めていく中での最重要人物。ご存知の方はご存知だと思います。
Mr,Children、My Little Lover、レミオロメン、Salyuなどの作曲、作詞、アレンジなどを行っている方です。僕は崇拝するくらい好きなんですよね、彼の作る「音」。各々のアーティストが好きというよりも、小林武史サウンドが好き。
運良く、彼の運営する会社へ入れてもらえることになるのですが、自分の方向性とは違う部署への異動をチラつかされ退社。ワガママなんですよね、僕。
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現在
今もレコーディングエンジニア(会社員)をしています。一般社会人のオーケストラ、学生の合唱だったりを録音して、トラックダウン。
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勤務時間が長くなることもあるし、お休みもあるような無いような時期もありますが、充実してますね。
学生時代って、「仕事=嫌なこと・大変なこと」っていう認識がありました。そんなことをする対価として時間単位にお金をもらうのかなって。
そんな事なら就職したくない。というか、僕が続けられるわけがないんですよ。嫌なものは嫌なんですから。
誰かに迷惑がかかろうが、やりたくない事はしない。だからこそ、やりたい事をやって稼ぐ方向にシフトしたんです。
今後の野望・生き方
一度、小林武史さんと仕事をしたい!という夢を叶えて、自ら辞めてしまったことで区切りがついてしまった感があります。「一度、死んだ」って感覚です。
それ以降、ずっと考えているというか見つめている生き方は「調和」。
心と身体。自然と人間。自分とその他。
そういった事との調和のとれた生き方を見つけたいですし、実践していきたいと考えています。その一端として、こんなことをしています。
ロケットストーブ
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公園や道端で拾ってくる小枝のみでご飯を炊いています。そうすることで少しでも、電力会社への依存を減らしていこうとしています。何よりご飯が美味しい!そして楽しい!
ワイナリーを作りたい!
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単純にワインが好きなんです。
ワイン造りって基本はブドウを発酵させるだけなんだ!ということを知り、この夏〜秋にかけて作ってみました。今も寝かせています。ただ、一般家庭においてアルコール度数1%を超えるワイン(どんな酒でもですが)を作ると酒税法違反になります。
なので、今作っているワインはワインと言いつつもアルコールフリーに近いものです。いつか、本当のワインを作りたいんです。
ぶどう作りから入った農業に絶賛ハマり中!!!!
ぶどうを自宅で育て始めたのが2015年10月。年が明けた2016年から畑を始めました。
その「畑」。これにめちゃくちゃハマってしまったんです(笑)中高生の頃にギターにハマったのと同等のハマり具合。毎朝5時に起きて畑に通っています。
畑で収穫、草取り、まぁ色々と作業をしてから出勤。そんな毎日を送っています。楽しくて仕方ない♪
長くなりましたが、こんなやつです!よろしくお願いします!
(以下、2018年6月6日に追記)
こういう変遷を辿り、行き着いたのが米作りと糀づくり。発酵文化。
畑や田んぼの土も微生物がいなければ成り立たないんですよね。そういう部分も含めて発酵が面白い!本当に面白い。僕らは金ではなく、菌なくしては生きてこられなかったんですよね。
「調和」というキーワードを書いてきましたが、やはりそこは変わらない。
地域の自然、自分が暮らす街の気候、それらと向き合いながらどうやって生きていくのか?その答えを米作りと糀づくりをしていく中で見つけられたらなぁと思っています。
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