こんにちは!ビッグイシューを購読しています、よーへい(@campanella225)です。
ビッグイシュー日本版260号にて、重度自閉症の作家東田直樹さんが26の質問答えてらっしゃいます。
また、その回答に対してイケダハヤトさんが「仲良し教」が大嫌いですとして回答の共有・意見を述べられていました。
友達100人という課題を押し付けてくる歌を思い出した
まずはどんなやりとりだったのか?以下、引用です。
「考えることや、好きな物、信じるものはみんなそれぞれに違います。考え方の違う世界の人が仲良く暮らすにはどうしたらいいと思いますか?」。
という、質問に東田直樹さんはこう回答されています。
仲良くしようと思わないことです。お互いの文化や存在を認め合い、尊敬することができれば、それでいいのではないでしょうか。
仲良くしようと考えるから、自分のことを理解してもらいたいと期待するし、相手のことを必要以上に知ろうとします。
もともと、宗教や生活様式が違うのですから、そうなると意見の押し付け合いになります。あるがままに共存することが重要です。
この話を読んでいて、一番初めに頭に浮かんだのは一つの歌。
「いっちねんせ〜いになったら、いっちねんせ〜いになったら、友達100人でっきるっかな♪」
という歌。
皆さんもご存知の方が多いのではないでしょうか?どこかのタイミングで覚えてしまう歌。僕はこの歌が本当に嫌いでした。そもそも、みんなと一緒に歌うこと自体が嫌いだった僕にはダブルで嫌な歌だった。
最低でも友達100人作ろう!って言われている気分だったんですよね。僕の通っていた小学校は一学年120人くらいいましたが、そのほとんどと友達になれって言うんですよ?(笑)
知らず知らずに強制されてきた「仲良し」
僕らは幼い頃から、「仲良し」をいわば強制されて育ってきているわけです。
その結果として、「仲良し」からはみ出した人を仲間はずれとして「排除」していく。「仲良し」を推し進める反面、その流れからこぼれてしまう人に対してはなかったものとしようとしているとしか僕は感じない。
本当はみんなも「仲良し」なんて嫌いなんじゃないの?ただ、周囲との歩幅を合わせるために「仲良し」を取り繕ってるんじゃないかな。そんな仮面を被った者同士が結託して作られているのが今の世界のように思う。
東田さんは結びとして、このような事をおっしゃっています。
お互いの文化や存在を認め合い、尊敬することができれば、それでいいのではないでしょうか。
僕は僕、君は君。ただそれだけでいいんだ。僕はそう感じます。