【映画・人生フルーツ】「ときをためて」こつこつと生きていく。

人生フルーツ 地域
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ども、よーへい(@campanella225)です。

映画『人生フルーツ』完成上映会に行ってきました。舞台挨拶にいらっしゃっていた津端英子さん。その手には昨年6月に亡くなられた修一さんの写真が…。

二人の生活、暮らし方を追ったドキュメンタリー映画。だからこそ、完成上映会も二人で…そんな気持ちが伝わってくる。

今回の完成上映会は450名の応募に対して、1,300人からの応募があった。東海テレビでの放映時にも反響は大きかったようだけれど、正直そこまでの人が応募しているとは考えもしていなかった。

僕、運だけはいいです(笑)ちゃんと巡ってくるなって感じちゃった。

津端修一

映画「人生フルーツ」完成上映会

津端ご夫妻の暮らし方という視点から見えてきたもの

完成上映会を終えて、僕の中の感想を書いていきたいと思う。

今回の映画、どの視点から観るか?で心に響くポイントは変わる。僕はそんなことを感じた。あげるとこんな2点。

  • ご夫妻の暮らし方
  • 津端修一という男の生き方

修一さん・英子さんのお二人だからこそ生まれた暮らし方なんだと思う一方、やはり『津端修一』という一人の男の生き様でもあったようにも僕は感じる。

映画の中で何度も語られる言葉、樹木希林さんの声が本当に沁みてくる…

風が吹けば、枯葉が落ちる。

枯葉が落ちれば、土が超える。

土が肥えれば、果実が実る。

こつこつ、ゆっくり。

こつこつ、こつこつ…

冒頭から本編を貫くテーマ。「こつこつ、ゆっくり」自分の手で生活を作っていく。

津端修一・英子ご夫妻の暮らし方

何と言っても、まずはご夫婦の暮らし方・生き方だろう。そこにヒントを得たいと考えたり、憧れてみたり、真似してみたいなって感じている方は多いと思う。

そりゃ素敵だもん。毎朝のご飯にしても、お二人の時間の流れ方も。

いわゆるスローライフを実践されているといえば、そうなのかもしれない。そして、そこに注目をしているファンの方も多くいるんだろうなと改めて感じた。

その中で僕が感じるのは、正直「スローライフ」なんてどうでもいいんだろうなってこと。ご本人たちはね。どうでも良いっていうのはそのカテゴリわけについての話だ。

カテゴリに分けられても、分けられなくてもそんなこととは関係ない。自分たちの暮らしを自分たちの手で作っていく。

それは外から見れば「スローライフ」なのかもしれないが、あくまでも外からの評価・表現。暮らしを作っていく本人たちには関係ないと思うんだよね。

人生フルーツ

「人生フルーツ」完成上映会でのパネル展

家は、暮らしの宝石箱でなければならない

これはモダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉。津端さんが大切にされていたことの一つ。

誰にとって?誰にとっての宝石箱でなければならないのか?

ここを履き違えてしまっている人が多い世の中に感じるんだ。まぁそんなのはお節介な話なので、話は省く。

津端さんの暮らし、それは津端さんご夫妻にとっては宝石箱だったのは間違いない。この映画を観た誰もが感じることだと思う。

暮らしを手作りしていくとは何をしてくことなんだろうか?津端ご夫妻の生活をそのまま自分に置き換えていくことは、かなり難しい。

まずもって、自宅の横に300坪の畑は作れない(笑)だからといって、憧れだけでは何も始まらない。

出来ることを一つ一つ始めてみること。僕の場合でいえば、自宅とは別の場所に畑をもっている。来年からは田んぼでの米作りも始まる。

この事実について、素敵なことだという人もいれば、なんでそんな面倒なことを?という人もいる。それでも、僕は楽しくやっていくだろう。そういうことなんだろうと改めて感じる。

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人生フルーツ

「人生フルーツ」完成上映会でのパネル展/小さな「農」に向かう

津端修一と高蔵寺ニュータウン

もう一つ、僕がつよく心を揺さぶられたのは津端修一と一人の男の生き方と死に様だった。

この映画「人生フルーツ」は津端ご夫妻の物語。そして、何を語るにしてもお二人であったからこその物語であり、暮らし方なのはわかった上で、それでも一人の男の物語でもあると感じる。

彼の理想は叶えられなかった

僕の暮らす高蔵寺ニュータウン。その設計に津端さんは大きく関わった人物である。

当時、真っ白のキャンバスに理想を描くように設計プランを描いて良いと言われて仕事に着手。彼の描いたマスタープランは実に斬新で今思えば本当に素晴らしいものだった。

広大なニュータウンに中には、雑木林を作り、風の通り道としたり、元々の里山だった姿を居住者が感じられるようにと工夫を凝らしたものだった。

だが、当時の日本は高度経済成長の真っ只中。人間の暮らし方よりも効率と経済性が重視された。その結果が今の高蔵寺ニュータウンだ。

彼が残してくれたもの

それでも津端さんの意思はこの街に根付いていたんじゃないか?と僕は感じるわけです。

津端さんが高蔵寺ニュータウンの設計に関わり、そして去っていく。その中でニュータウン内に土地を購入し、自宅を建設し、雑木林を備え、300坪の畑を耕し始めた。

彼がそこにいなければ、この街はもっともっと経済効率のみを追い求めた街になっていたんだろう。

一人一人が作っていく街

彼が残してくれたもの、残せなかったもの。そして、この映像作品が残してくれた彼の晩年の暮らし方と死に方。

単純にカッコいい。僕にとってはカッコいい。

ご存命中に知れなかったことは悔やまれるけれど、彼の残した街に僕は生きている。街は作られるものじゃない。もちろん、大枠では作られていく。

だが、実際には暮らす人の一人一人が作っていくもの。その一人一人の意識に少しずつでも、この映画が入り込んでいけると街は変化していける。僕が望む方向に。

「ときをためる」

冒頭に紹介した、映画「人生フルーツ」を通して何度も語られる言葉。

もう一つ、僕の中に刻んでおこうと感じたのが「ときをためる」ということだった。

こつこつ、こつこつと一人で始め、ときをためていく。

ときをためて生きていく。

こつこつと自分の暮らしを作っていく。一つ一つ手作りで作っていく。

僕にとって、とってもベストなタイミングで出会えた映画。そして、人の物語。

年明け以降に各地での公開が決まっています。ぜひ、チェックしてみてください→映画「人生フルーツ」公式ホームページ

映画を観にはいけないけど、津端さんご夫妻の暮らし方が気になった方はこちらの書籍で、その一端を感じてみてください。

地域生き方
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書いている人

1983年製。3児の父親。レコーディング・エンジニア。休日や平日の早朝は、趣味とは言えなくなってきた30坪ほどの畑と、1反の田んぼで過ごす日々…(笑)
大好きなお酒から発酵文化に興味を持ち、米を作っているなら麹も!ということでマイクロ麹屋さんを始めました。どうなっていくんだろ、僕の人生。

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