日本にイジメが多いのは、「友達」しか大切にしないからだ。

引きこもり

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こんにちは。よーへい(@campanella225)です。

今日、こんな記事を読んでいました。

なぜ日本はいじめが多いのか? 誰も語らない要因

大筋で納得のいく記事ではあった。最後の部分がイマイチ「う〜ん…」と僕はなってしまったけどね。具体的に書き出すと、ここですね。

あなたの死は、あなたのことを愛している人にのみ悲しみをもたらします。死ぬことではなく、生き続けることこそが、あなたを苦しめる人たちを悩ませるでしょう。生き抜いてください。

誰かを苦しめるために生きるのは辛いですよ。僕は「死」を意識していたかどうかは覚えていないですが、小学〜中学生にかけて定期的にイジメられていた。

ず〜っとってわけじゃない。一番辛かったのは中学生のときかな。思い出すと、あの状況で休まずに学校に行っていた自分が不思議でならない。

殴る蹴る系じゃなかったから、「ま、いっか」って心を殺し、とにかく時間が過ぎるのを願っていた。記憶がかなり曖昧なんですよね…この時期のこと。脳がどこかに押し込めてくれてるのかな?

友達がいなくたっていい

友達はいなくて良い。一人ぼっちだったとしても問題ない。それはこちらから友人を拒絶するという意味ではない。いたら楽しいことも増えるかもしれないし、いないからといって自分という存在が損なわれるわけじゃない。

そう、自分という存在が損なわれるわけじゃない

友達が1人もいなくても、1000人いたとしても「自分」は自分なんだ。同時にいつも一人ぼっちでいる人も、友達が沢山いる人もどちらが良いも悪いもないし、どちらが優れているでも劣っているでもない。

僕は息子が幼稚園に通いだした頃に「友達、出来たか?」って聞きそうになった。自分で自分にビックリした。そんなどうでも良いことを聞こうとしてしまったことに。そして、「幼稚園、楽しいか?」に言い換えた。

友達を偏重するから、仲間はずれが生まれる

先ほどの記事において、イジメの原因はこのように語られています。

日本は「溶け込めない人間」に対して、非常に冷たい社会だということです。

日本社会では、周りと合わせることや集団の中で生きていくことが重要視されます。

お互いの違いよりも似ていることが評価され、個性よりも調和が大切だと教えられます。周りに馴染めない場合、集団の中で孤立するか、もしくはその集団から取り除かれて、違う集団に入れられます。

まぁ、そういう社会ですよね。子供だけじゃなく大人も。というか、大人がそういう状況を作り出している。僕が幼いころ大人から言われていた言葉を思い出す。

「友達」を大切にするってなんなの?

親から言われてきませんでしたか?

「友達」は大切にしなさい。

って。親だけじゃなく、教師もよく言いますよね。これまでに「友達なんてどうでもいい」という大人とはほとんど会ったことがありません。

では、質問です。

「友達を大切にする」ってどんなことなんですか?

僕には答えられません。特段、ないですよ。友達って、気が合うから仲良しってだけです。それ以上も以下もない。

でも、僕が身近に見聞きしていたのは少し違う。

「友達」だから、他の人とは違った扱いをするって人ばかりですよ。友達だから優しくする。友達だから共感する。友達だから親身になる。友達だから助けてあげたい。

この辺りが、紹介した記事で書かれている『「溶け込まない人間」に対して、非常に冷たい社会』を作っているんだと僕は感じます。

都議会でも同じことやってますよね。

小池百合子知事の初登庁も、都議会自民党らが通例を破ってまさかの「出迎え拒否」!

「友達」にだけ優しい社会

「溶け込めない人間に対して」なんて難しい話じゃなく、「友達以外は知ったことじゃない」って思ってませんか?だって、「友達」だけは大切にしろって、ず〜っと言われてきてますからね。

さっき書き出した、「友達だから〇〇する」。それもいいですよ。ですが、その他は「友達以下」だからどうしたってOKってなっているのが現状でしょ。

イジメをする人って、「友達」ではない「普通」の他者を「溶け込めない人間」認定して攻撃を開始する。それがイジメの発端ですよ。発端の攻撃ってちょっとしたことですけどね。

せめて、ほっといてくれたらいいに。

友達だった人をイジメる心理

「仲良しグループだったのに、そのうちの一人が知らないうちにイジメの対象になっていた」なんてことは全国で起こっていると思います。

これもやっぱり、「友達」を大切にするってとこから発端はあると思うのね。友達の中で優劣をつけ出す。こいつが一番大切な友達だって。

そうなってくると、友達グループの中で上下関係が出来てくる。

大なり小なり上下関係は出てきますよ。僕はそれが嫌なのでそういうタイプとは付き合いませんが。そんな関係性の中で、最下位に立ってしまった人はいつか攻撃対象に変えられていく。

そんなのを何度となく目にしてきた。自分自身の経験も含めてさ。

すべての人を大切になんて出来ないけど

目に映る人のすべてに対して親切にして、思いやりを持ってなんて難しい。でも、イーブンでは接することができるんじゃないか?と思うわけ。

友達だろうが、知り合いだろうが、そうじゃなかったとしても…みんな同じで良くない?そういう意味において、僕には友達は不要です。

その中で頻繁に会ったり、楽しく過ごす人を「友達」と呼びますが、対外的な説明用の語句でしかないよね。

これを読んだ人は一度考えてみてほしいんですよ、「友達」って考え方で不要に誰かを攻撃しているんじゃないか?ってことを。

「嫌い=排除」じゃなく、嫌いでも許容はしませんか?

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